新世紀エヴァンゲリオン(漫画) -凡人の感想・ネタバレ-

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執筆日2014年11月26日

評論

今まで、映画、小説、ゲームの感想サイトとして短期間ながらもやってきたが、今回初めて、「漫画」に関しても書こうと思う。これに関しては基本的に、完結した作品を総括的に扱うことにするので、コミック単体では行わない、つもり。気が変わることもあるかもしれない。

そして最初に感想を書くのが、2014年11月26日に最終巻が発売された、新世紀エヴァンゲリオンである。

この作品の概要については今更語るほどもないだろう。90年代から追いかけてきたファンにとっては、いくつかある公式のうちの一つである、エヴァのキャラデザインをしている貞元義行自らが描く漫画版が終了した、ということは感慨深いのではないだろうか。
…あるいは時間が経ちすぎて熱も冷めているか。

少年エースにおいて連載開始が1995年、たった14巻しか出ていないが、足掛け18年かかりついに完結した漫画版。色々な事情があったにせよ、まあ時間かかりすぎだよな、ということは誰しも思うところであろう。ただ、あまりにグダッていたため、呆れすら通り越して「よく完結してくれた」という声が多いのも確かであろうが。自分もその一人である。平行して進行している新劇場版プロジェクトの存在が漫画版を手がける貞元氏の尻を叩いていたことは間違いないといえるので、新劇場版がなかったら、あるいは未完で終わった可能性もあるかと思う。

漫画版エヴァは、TV版に基本的には準じているが、多くの違いが存在する。自分自身、この作品と出会ったのが思春期真っ盛り、すなわち「直撃世代」であったので、色々と思うところがある。なので、いつもは少ない文章量を増量して、このページは描きたいと思う。TV版とは大きく違う漫画版にはTV版にはない長所、短所があると思うが、大体において、自分はそれを肯定できる派だ。漫画版の評価であるので、エヴァのテーマ性がどうだとかあまり深いことは書かない。漫画版エヴァ、というものに着目したい。

TV版との違いといっても、ストーリーの大筋にはそれはなく、主にそれはキャラクターの性格にある。

まず主人公の碇シンジ。
このキャラクターは90年代の世相を表していたようなキャラとして造形されたのだと思う。無気力で消極的、そんなヒーロー像とはかけ離れていながら、その弱さに共感できるような、そんなキャラクターとして生み出されたのが碇シンジではないだろうか。
そんなキャラクターであるので、TV版のシンジに関しては、正直当時から今に至るまで、はっきり言って嫌いな部類にある。「いくらなんでもそこは頑張れよ」という場面が多いもんで。旧劇場版が視聴者を小バカにしていたものであったと知ってからはなおのことだ。
だが、漫画版の碇シンジは、「至って普通の、むしろ並以上に社交的な少年」として描かれている。TV版とは同じ顔をした別人であると言っても間違いない。これはそもそも貞元義行の割とサバサバ、あっさりした作風によるものが大きいかもしれないが、グジグジしている部分はほとんどなく、アスカに対して卑屈な態度を取ったりすることもなく、「気持ちのいいヤツ」である。もっと言うと、本気を出せば凄いのにあえて出さない、「ラノベ主人公的な」いけすかない余裕を持ったキャラのようにさえ見えるときも。これはやはりアスカとのやり取りで垣間見えることが多い。リアリティはなく、いかにも漫画的なキャラとなってしまっていることは確かだ。しかし、TV版と同じような女の腐ったような性質にしてしまっては漫画版を読む気もおそらく失せていただろう。だから、総合的に見て、碇シンジの性格づけはこれでよかったように思う。
ただだからこそ、最終巻で描かれるような過去に関しては唐突な感じが否めない。彼は過去において歩み寄って来ようとした人物を拒絶してきたことも分かるのだが、漫画版のシンジに関してはむしろそこまで生い立ちに悲壮を感じさせないので、この設定にやや違和感を感じざるをえなかった。漫画版のシンジには、TV版、あるいは新劇場版もそうだが、それらのように決定的に社会性が欠如している部分がまるで見当たらない。はっきり言って、物語冒頭時点でほとんど完成された、成熟したキャラであるようにも思える。
とはいえ、作中ではどこまでも空虚な感情を持っている空っぽの少年という扱いであり、最後には一皮剥けるという展開なのだが、このあたりどうにもあまり興味がないというか関心がもてない。どうしたって漫画版のシンジは通して見ても、茶目っ気のある普通の少年、くらいにしかどうにも読み取れないもんで。TV版とは真逆で渚カヲルを拒絶するのも、精神的地盤が比較的安定している漫画版シンジだから可能な展開だろう。

作品のシンボルでもあるヒロインの一人、綾波レイ。
漫画版の彼女は、とにかく人間臭い。印象的なシーンは5巻でプリントを持ってきてくれたシンジを部屋へと招き入れるシーンだ。「少し上がっていけば?」なんて台詞が彼女の口から出るというのには、当時驚いたもの。ラミエルとの戦いを皮切りにシンジとの繋がりをどんどんと積み重ねていき、TV版以上に、明確にシンジに対してもはや恋慕の情を持つこととなる。つまり新劇場版:破の綾波に近いかもしれないが、彼女に関しても、貞元氏の作風ゆえか、割と軽い台詞をポンポンと吐くため、TV版ほどの触れがたい神秘性は薄れており、ギャグじみた表情もする。父親との関わりに悩むシンジに対してアドバイスなどをし、さらには「ゲンドウと何も始まっていないのは自分だ」などとまるで普通の思春期の女の子のような心情を見せさえする。
これに関しても、自分は肯定的だ。どこまでも神秘じみたシンボルとして扱われるキャラであるので、ある程度人間臭く描かれたことでより親しみやすいキャラとなったろうし、そういう彼女はまた見ていて可愛いのも確か。TV版にも、新劇場版にもない魅力が、漫画版の彼女にはあると思う。しかし悲しいかな、彼女はあくまでシンジの母親、ユイのコピー的存在であるという基幹設定を持っているため、恋愛感情とまでいくと奥歯に物が挟まったような妙な違和感を感じてしまうのも確かであるのだけどね。幸せにはなれず、消滅が運命づけられている悲しいキャラだ。シンジが9巻あたりで言う、「綾波との距離は詰まっているけど、これ以上詰まることはあるのかな」という台詞はそういう感情を持つ読者側の代弁でもあるとも思える。

そして2人目のメインヒロインである惣流・アスカ・ラングレー。彼女に関してだが…。
大体は肯定できる漫画版エヴァだが、彼女の扱いに限っては否定的にならざるを得ないと言える。TV版に存在した彼女の魅力は漫画版には全く存在しない。
TV版をある程度深いところまで理解している人間なら分かるだろうが、彼女の魅力は、その狂気ともいえる激情から見え隠れするシンジへの愛憎にある。その複雑な心境を知れば知るほど彼女が魅力的に見えるのがTV版だった。シンジのことを激烈に異性として意識していながら、しかし自分を選んでくれることのないシンジに対しての嫌悪感、諦観、そんな負の感情が複雑に絡み合っているという、簡単に言うと「ブラックホール級に重い女」がTV版のアスカだ。実に生々しく、また悲しい性質を持っているのが彼女だ。TV版エヴァがなぜああまで世間を騒がせたのかと言えば、こういう、人間の醜くも生々しい性質を嫌悪感を感じるレベルで描いていた、という点が大きいと思う。アスカのシンジに対する感情もそうだが、ミサトがシンジに抱く感情もTV版では複雑であり、生々しい。あるいはTV版のシンジのように嫌悪感すら抱くほどに。だが、貞元氏が描く漫画版エヴァにはそういった面は全く存在せず、カットされている。アスカの魅力というのはまさにここであったのにばっさりとカットされているものだから、彼女のキャラクター性は非常に薄っぺらいものとなってしまっている。過去にトラウマがある、勝気な少女。ただそれだけになってしまっていると言える。これはTV版と漫画版エヴァを比べた場合に漫画版の大きな欠点となる部分であるのは間違いない。正直、TV版ほどに激烈なものでなくとも、シンジに対する感情はもっと複雑なものとして表現してほしかったようにも思う。漫画版の彼女はシンジに対してはただのライバルであり仲間ではあるが、それだけであり深みがない。シンジとレイの関係に対して特に嫉妬することもないので、TV版は言うまでもなく、新劇場版のものよりもシンジに対する感情は淡白であり、本当になんとも思っていなそうである。加持に対する恋慕も、加持が言うように「大人っぽくて素敵」というものからくる憧れのようなものであって、結局どうともならず加持とは永遠の別れとなる。結局、結末まで深く関わるキャラが存在せず、漫画版の彼女は中身がまるで空っぽだ。唯一、量産機との戦いでシンジが助けに来てくれたのは漫画版における彼女の救いだったかもしれないが、それをしてほしかったのは、激烈に彼を求めていたTV版の彼女だったろう。

もう一人の主人公とも言われる葛城ミサト。
彼女に関しても、TV版ならばシンジに対してどこか歪んだ感情を持っているのだが、またそれがある種の魅力となっていた。何せTV版ではシンジに対して体を重ねようとすらする。また、TV版の彼女は、卑屈な性格のシンジに対して酷く辛らつな言葉を投げつけるシーンも印象的だ。自分自身も病んでいるがゆえのシンジへの依存的ないびつな愛情、それがまたTV版エヴァの何か、ねちっこくて黒くて生々しい、しかし魅力の一つとなりえていた。
しかし漫画版では、シンジの保護者以上の存在にはなっていない。どこまでもシンジを見守り、応援し、母親、もしくは姉のように接するという、魅力的だが特に特筆すべきところはない普通の大人となってしまっている。つまり新劇場版の彼女と同じと言えるだろう。
ただ、彼女のキャラクター性においては、それが欠けていたとしてもアスカほど致命的なものではなくなっている。よく、エヴァにはまともな大人がいない、といわれる。漫画版くらい、保護者の彼女がある程度まともであってもいいじゃないか。そう思う。

TV版と最も扱いが違うのはフィフスチルドレンの渚カヲルだ。
TV版、そして新劇場版においても、精神的に追い詰められているシンジにとっての救いとして現れるキャラクターなのだが、漫画版でのみ、扱いがまるで真逆となっている。登場時に野良猫を扼殺するという所業を行い、シンジとの最悪なファーストコンタクトを果たす。以降、一貫してシンジからは避けられる。
彼も綾波レイと同じく神秘的、不可侵な存在として扱われるキャラだったのに、それは影をひそめ、嫉妬や怒りなどといった感情を露にする、実に人間臭いキャラクターとなっており、まるで別人だ。
自分が貞元版エヴァにおいて最も気に入っている点はこのキャラの扱いだ。なぜなら旧来からシンジとの同性愛的なシーンが強調されることに、ぶっちゃけ嫌悪を抱いていたから。新劇場版:Qにもうんざりだったが、ホモネタとかって本来は相当に嫌悪感催すもんだよ実際…。まあ漫画版だとキスまでするもんだからある意味一番やっちゃってるわけだが、それでもシンジは最後までその気にはならないし、「男は男を好きにならないよ!」って言うシーンでは「もっと言ってやれ」と思ったもんだ。
それを抜きでも、綾波同様、生きた普通の人間のように描かれるカヲルには好感を持った。思わせぶりなことばっかり言うカヲル君像を壊してくれたことに関しては、貞元氏によくやってくれたと、言いたいところだ。漫画では、一部のゲームでしか見られなかったエヴァに搭乗するシーンがあるのも良い。
彼の扱いがこういうことになったのは、上述したとおり、シンジ自身にそこまで欠落した部分がないからなんじゃないだろうか。漫画版のシンジの精神は他者に対する不信や恐怖といったものではなく、自分がいくら頑張っても守りたいものを守れないという諦観が大きく、依存する何かを必要としているわけじゃないのだから。

主要5人に関してTV版との相違点をざっくりだが書いてみた。あとはゲンドウなどに関しても違いはあるが、ここまでにしておこうと思う。

要するに、漫画版ではTV版とほぼ同じ展開をなぞりつつも、TV版の毒というか、「愛憎劇」を徹底して排除した構成になっていて、それで必然的にキャラクターにも変化が現れているのだと思う。これは何度か書いたように、貞元氏が自分の作風にあわせた結果なんじゃないかな、という感じがある。自分は貞元氏が描くいかにも漫画的なキャラクターが嫌いじゃない。シンジもレイもどこか口が軽く、物語自体もそれほど悲壮感を漂わせていない。だが、こういうエヴァもあっていいよな、というのが貞元義行氏が書くエヴァンゲリオンだ。それがアスカのキャラクター性を大きく変質させてしまっているのは問題かもしれないが、当時見たような、ドロドロした愛憎劇なんて二度も見たくないもんな。

ただ、そういう毒を排除したエヴァって一体何が優れているのかというと、「特に何もないな」となってしまうのも確か。はっきり言って、無味無臭な、凡庸な作品であると断じてしまうことも可能となってしまうのが、漫画版エヴァだと思う。しかもそれすら、作中で語られない様々な設定を知らなければまるでさっぱり分からない内容だ。TV版を全く見ておらず、かつエヴァについての考察を見たり、前知識も持たずに漫画版を見たら「なんじゃこりゃ」だろう。
それも2000年になる前にでも完結していればまた印象は全く違うだろうが、もはや作中時間の前年ともなる2014年に完結してしまっては、もはや「よく未完にならなかった!よくやった!」以上の賛辞は出てこない、ってのが、当時から追っているファンとしての正直な気持ちでもある。
また、展開自体はTV版をなぞっているが、結末部分、つまり旧劇場版にあたる部分に関しては、TV版の毒を抜いては語れない部分もある。それなのに展開だけはなぞってしまったものだからチグハグな部分が出ているのも確かだ。例えばミサトがシンジを送り出すシーンでキスをするが、このキスはTV版のミサトならではのものだと思う。漫画版のミサトはシンジに対してこの場面でキスをするようなキャラクターではないはず。
そして漫画版の結末は、おそらくループした世界?(新しい世界にもシンジに母親がいる描写はなく親戚のおばさんに育ててもらった描写があるのでループよりもどういう形でか再構築された世界?)でアスカやケンスケと出会い、未来へ希望を抱きながら前へと進むシーンで終了だ。毒を抜いた漫画版では当然、旧劇場版のようなエンドではなく、「無難」に終わっている。凡庸で面白みがないと言えばその通りだろう。 最初に言ったように自分としては漫画版が終わったことについて「よくぞ終わらせた」という気持ちがあるのだが、また同時に「もう少しどうにかならなかったのかな」と思う部分もありで、複雑だ。

TV版、漫画版、そして新劇場版といくつもの紛れも無い「公式」が存在しているというあまりに稀有な、稀代の社会現象を巻き起こした作品。新劇場版の結末も気になるが、この作品は一体いつまでメディアミックスとして使われるのだろうな、とも思う。直撃世代としては、いつまでも変わらぬ14歳の姿の彼ら彼女らを見ているのは、どうにも年を重ねるごとに何か哀愁のようなものすら感じないでもない。新劇場版が存在しなければ流石に現在では時代に埋もれていただけの彼ら、もう楽にしてやってくれと、心のどこかで思っているのかもしれない。

以上、漫画版終了ということでやや入れ込みすぎの、気持ちの悪いレビュー。

おまけとして最終巻について。
1998年当時としてマリが登場したが、これはゲンドウの苗字から判断して新劇場版ではなく漫画版の時間軸ということになる。一応、漫画版エヴァにもマリが存在してたということになろうが、彼女はどこで何をやってたんだろうか。そしてわざわざ最終巻にこの話を入れるということは新劇場版の設定として見てもいいのだろうか?相変わらずエヴァは考察に事欠かない作品だと、最終巻を見て思ったのだった。

TV版と漫画版の違いを上述のキャラ以外でざっくりまとめてみた。まだまだあるだろうけど。

項目別評価

この作品の魅力の一つにキャラクター造形によるものは大きく、評価を下す上では外せないだろう。当時のオタクたちを魅了した綾波レイ、惣流・アスカ・ラングレーらをデザインした貞元氏のセンスは半端じゃない。バンプの藤原基央が本気で恋をしてたとか有名な話だ。プラグスーツのデザインとか改めて考えると本当に趣味全開である。作画は基本的にどうも手抜きっぽいコマが多いのだが、終盤、12巻辺りからは明らかに気合入れて描いているように見える。

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