ファイナルファンタジー零式 -凡人の感想・ネタバレ-

凡人の感想・ネタバレゲーム>ファイナルファンタジー零式

執筆日2014年11月01日

評論

「昔のほうがいいゲームがあった」

こういう言葉を使えば今の若い子には「懐古」であると一蹴されるだろう。
だが、その「昔」に該当する90年代がゲームの黄金期だったのも間違いない。だからこそこのような言葉を発する人間がいるわけだが(むしろ2014年ともなると当時子供だった人らがゲーム離れしたせいかネットでもそういう発言をしている人間自体少ない気もするが)、これは本当にただの懐古なのだろうか?

自分はそれは「否」である、と思う。つまり、昔のゲームのほうが優れている部分は確かにある。簡潔に言えば、近年のゲームは「ゲームをさせてくれなくなった」。これだけ書くと陳腐な使い古された批判かもしれないが、ファイナルファンタジーシリーズはFC時代からプレイしており、思い入れがあるので、それを交えて語りつつFF零式の評価を書きたい。ぶっちゃけ、とっちらかってて何が言いたいのかよくわからないかもしれない。

PSからPS2になり、さらにPS2からPS3に移行し、ハードのスペックが上がるにつれ、常にハードの限界に挑戦し、映像をより綺麗に、リアルに、映画のように、と追求してきた国内メーカーがどこかと言えば、これは旧スクウェア、スクウェアエニックスが真っ先に挙がるだろう。

そのスクウェアと言えばもちろん代表作はファイナルファンタジーシリーズ。今でこそ「映像だけ」「ストーリーがだめ」という評価を受けがちなシリーズだが、思えばSFC以前の時代からFFは常に映像で最先端を行くものであった。FF6の迷いの森の泉で、光が美しく映りこむシーンを見たときには、当時息を呑んだものである。

しかし、ここまではドット絵で描かれる世界だからこそ、現実と比較することはないので、単純に美しい、素晴らしいと思えた部分はあると思う。ポリゴン、3Dの時代になると、どうしても現実と比較するようになる。初代バーチャファイターなんて付け鼻をしているようなカックカクであって、さすが当時ですらちょっと笑いの種になっていたと思う。だからこそVF2での進化には度肝を抜かれたが。
それはともかく、PSのスペックでは現実と遜色の無い世界を作り出すことは不可能だ。今見返してみると、いっそ割り切って見れるFCやSFCのゲームより、90年代後半のPSやSSのゲームの方がきついものがある。

FF7ではポリゴンとなったわけだが、当たり前だがポリゴン部分は今見るとチープ。FF6が発売された94年、タクティクスオウガやロマサガ3、聖剣伝説3、クロノトリガーが発売された95年、スクウェアのドット絵のレベルはもはや「極まっていた」。FF7ののっぺりとした塗りのポリゴン敵キャラクターを見てなんだかがっかりしていた記憶がある。黎明期なので仕方ないとはいえ、極まったドットとPS時代のポリゴンとでは、圧倒的に前者が魅力的だったのだ。描きこまれた敵キャラクタードットも、作品に華を添えていたのだなと、FF7をプレイして感じたのだった。
しかし、この作品の止め絵部分、背景部分の存在感には目を見張る部分がある。特に前半のミッドガルの退廃的な雰囲気はそうそう出せるもんじゃない。この世界に引きずり込まれるほどの説得力を感じさせる。ロード時間もまだ致命的というほどに長くはなく、多様なダンジョン、エリアを進んでいく楽しさを体験できるものだった。

個人的な見解だが、この「戦闘をこなしつつ先へ進んでいく」という部分を楽しめるかどうかというのは、今も昔も変わらず、RPGにおいては最重要部分の一つであると思っている。これはFF1やDQ1をプレイしてみるとわかる。今こんな古典ゲームをやったらさぞつまらんだろうと思うかもしれないが、意外とそうでもない。レベルを上げて強くなって、敵をガンガン蹴散らしつつ進む。この面白さがRPGの本質であるとわかるのだ。特に、ドラクエに関しては第1作から30年間近く経過した今も、一貫して一定の基準を満たしていると思う。レベルを上げて次なるダンジョンを進み、消耗した状態ながらもギリギリのところでボスを倒す。このバランスが毎作品絶妙なところで保たれているからこそ、ドラクエはドラクエ足りえているのだと、自分は思っている。堀井雄二プロデュース、すぎやまこういち音楽、鳥山明キャラデザインならドラクエなのかと言えばそんなことはない。その変わらぬゲーム性もまたドラクエたる理由の一つなのだ。

話が逸れたが、FFの話に戻す。雲行きが怪しくなったのがFF8だ。さらに映像は美しくはなったものの、その代償としてなのか、ダンジョンが極めて短い、申し訳程度のものになり、また戦闘に入る際のロード時間もやたらと長くなってしまった。これはFF9にも当てはまる。つまり、映像を代償に、ゲーム性や快適性を損なってしまった。この点、90年代から今までゲームをプレイし続けている自分としては、これはもう「間違いない」と言い切れる。FF7以前ではあったテンポよくモンスターを蹴散らしつつダンジョンを探索する楽しみ、という点がFF8や9ではほぼ消えうせていた。これは気のせいではなく、確かである。
個人的に、史上最高のRPGが何かと言われればFF7が候補に挙がるのだが、FF7は3Dポリゴンの領域に初めて突入して作品であり映像美やエンターテイメント性をこれでもかと重視していながら、奇跡的にこれを損なっていないことが大きい。
FF10以降だと、10はプレイしたが12はプレイしておらず、世界観やキャラクターが受け付けない13は途中で切った。FF13-2やLRFF13はプレイしたが、正直あまり評価は高くない。せいぜい50点だ。PS2のFF10からはロード時間がどうとかいう問題は解消した。しかし、映像はじめ演出を追求するリソースをゲーム性につぎ込んでくれればなあ…という思いは常に自分の中にあったのだった。とか言ったが、FF10は相当やりこんだ。11以降はあまり好意的に見られないというのが個人的な見解。LRFF13は時間経過により人々の営みが変化するギミックがあったが、なんかほとんど時間限定のイベントを受けるのが面倒になっていただけで何にも面白くなかった。

はっきり言って最近のFFシリーズの映像ありきのスタンスは嫌いである。可愛げのないホストまがいのキャラデザインも嫌いである。映像に力を入れるより、ゲーム性に目を向けるべきなのに。

そこでFF零式の評価になるが、結論から言うと、この作品はファイナルファンタジーシリーズの最高傑作かもしれない、とすら言える。それは、映像がどうのより、ゲーム性を重視していると感じたから。あとはストーリーや世界観が良かった、という点も無視できないが。

このゲーム、プレイヤーとして操作できる主要人物が15人もいるが、その人物のドラマなどにはあまりスポットを当てず、当てるにしても広く浅く、戦争群像劇としての側面が強い。これが好印象だった。個人の感情があーだこーだグジグジウダウダやってない。そんなことよりも戦争なのでとにかく戦いに身を投じなければいけないのである。つまり、戦闘、すなわち「ゲーム」をやらせてくれるのである。むしろ序盤では、「この15人もいる奴らの説明とかしなくていいの?」と不安にすら思ったのだが、そんなものは要所要所のイベントシーンで補完すれば十分なのだと、プレイしているうちに知ることとなる。
そして戦闘システムがシンプルながらも秀逸だ。相手の隙を見つけて的確に攻撃を当てることが必要なゲーム性で、なかなか難易度は高いのだが、慣れれば爽快感もあるもので、しかし必要以上に複雑でもない。
ストーリーの大筋に関してはFF13のような用語の嵐で、結構意味不明なのだが、エンディングでは涙せずにはいられない。戦闘マシーンとしてしか生きてこなかった少年少女たちの儚く短い運命という、容赦のない、ある意味救いのない物語なのだが、EDでバンプ・オブ・チキンの「ゼロ」が流れた際には多くのプレイヤーが感極まったろう。

2015年には据え置き機向けにFF零式HDとして発売されるこのゲームだが、思うに、PSPで発売されなければおそらくFF13などのような、映像ありきなゲームになってしまったのではないかと思う。PSPという限られたハードスペックの中で、表現面ではやれないことができてしまうからこそ、ゲーム性を重視するようになっている、プレイしているとそんな印象を受ける。これはFF零式だけでなく、近年の携帯機で発売されるスクエニのゲーム全体に言えることだ。いや、もしかしたらメーカー問わずそうなのかもしれないが。世間では評価が芳しくない「3rd birthday」なども好きだった。これも主にストーリー部分の批判が多いのだが、それでもゲーム部分は素晴らしかったと思う。シアトリズムファイナルファンタジーなどは、過去の遺産の使いまわしといえばその通りだが、単純にゲームとして面白いのでアリだった。

映像美を売りにするゲームに対して飽きるほど言われた批判かもしれないが、ゲームとして買っているのだから、映画を見たいわけじゃない。ゲームをしたいのだ。そしてスクエニは携帯機だとこれを叶えてくれることが多い。2014年12月に出る「ファイナルファンタジーエクスプローラー」も、良作の匂いがプンプンする。間違いなく面白い、そう直感させる。

来年にはFF15がPS4で発売されるだろうが、ナンバリングタイトルということもあり、やはり映像美、リアル、それらが重視されている。ホスト4人のぶらり旅、見てるとそんなゲームにしか見えないのだが。

ゲームなんて嘘っぱちでいい、はったりでいい、操作する部分が面白ければそれでいい。

そう思うのだが、据え置き機で発売されるゲームは全く逆行してしまう。肌や服の質感、草や木がリアルだから何だ?エリアが広いから何だ?時間経過により人々の営みが変わるからなんだ?そんなものゲームの面白さに正比例するわけじゃないのに。そういう映像や演出で満足してる人間は別にゲームが好きなわけじゃないんだろう。スクエニはもう携帯機だけでゲーム出せばいいんじゃないかな。そう思う昨今。
こんな風に書いたが、FF15には一応は期待している。

項目別評価

キャラクターなんてどうこうと上で散々語っておいてこういう評価に。ただこれも上で言っていた通り、あまり彼ら彼女らのキャラクター性自体にはそれほどスポットが当てられていないのが逆に好感が持てて、結果として好きになったという感じ。そしてあんなエンディング見せられたらもうね…。
ともあれこのゲーム、ここ10年、いやFFシリーズ最高傑作と言っても全くさしつかえないと思う。サブイベント関連が煩雑すぎて相当にやり込まないと要素をコンプリートできないのが少し不満ではある。例えばゲーム3周目限定イベントとかもある。

凡人の感想・ネタバレゲーム>ファイナルファンタジー零式