ダンサー・イン・ザ・ダーク 評価 -凡人の感想・ネタバレ-

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執筆日:2017年03月23日

あらすじ・ネタバレ

チェコからの移民であるセルマ(ビョーク)は女手一人で息子のジーンを育てながら工場で働いていた。セルマは貧しい生活ながらも周囲の人間関係には恵まれており、特に同じ職場に勤めている親友のキャシー(カトリーヌ・ドヌーヴ)はセルマを深く案じてくれる存在。またセルマはミュージカルを愛しており、ミュージカル教室にも通っているのだった。工場で規則正しく聞こえる機械音などをきっかけに、自分とその周囲の人間が楽しく踊る空想をよく行うこともあった。

そんなセルマにはある秘密があった。実は先天性の目の病気を抱えており、間もなく、今年中に完全に失明してしまうというものだ。さらにこの病気は遺伝するため、息子のジーンまでもが将来失明することが決まってしまっている。しかし事前に出術をすることで失明は避けられるため、セルマは地道に手術料を貯めていた。隣人である警察官のビルは悩みを抱えていたため、「自分も秘密を明かすことでビルが楽になる」と考えて、セルマはこの秘密をビルに明かしてしまった。セルマには思いを寄せるジェフという男性もいたが、息子の手術料を貯めることだけが生きる意味になっているセルマはそれに応える余裕はなく、拒否していたのだった。

目の病は進行し、また、工場での作業中に空想のミュージカルを演じる癖も災いして、仕事で重大なミスを犯してしまうセルマ。これにより工場の機械が丸一日動かせないというトラブルに。このためにセルマは雇用主に強制解雇されてしまったのだった。
最期の給料だけは貰うことができ、そのまま帰宅。しかしいつも手術料を入れていた箱の中から全額消えてしまっている。犯人は自分の秘密を明かしたビルしかいないと考えてビルの家を訪れるセルマ。しかしビルは盗んだ金を取り返したセルマに向かって金を返せと銃を突きつける。もみ合いになるうちに発砲されてしまい、ビルが撃ち抜かれることになってしまった。もう助からないと思ったのか、あるいは半分自棄になってのことか、ビルは自分に対してトドメを刺すようにセルマに懇願する。そんな事を言いながらもビルは妻に警察を呼ぶようにも言う。セルマはビルの言う通りにしてビルに数発発砲し、さらには頭を鈍器で殴りつけて、明確に自分の意思でビルを殺してしまうことになってしまったのだった。

裁判となるも、状況証拠により「セルマがビルの金を盗んだ」ということになり、あえなく死刑が宣告されてしまうのだった。
しかしジェフが、セルマが息子の手術を受けさせる気になっていた病院へ行ったところ、セルマが確かに地道に手術料を貯めてきたということが分かったのだった。
そのため減刑のための再審が行われるチャンスが設けられたのだが、そのためには選任弁護士とは別の、新たな弁護士に払う金が必要だった。親友であるキャシーは「手術料のために貯めてきた金を使うしかない」と説得するも、セルマは「自分の命よりも息子の目の方が大事」と言い聞かない。結局、再審は諦めることになり、死刑が覆ることはないのだった。

ついに死刑執行の日が訪れる。
セルマは酷く怯え、足がすくんで動けないが、今まで度々そうしてきたように、ミュージカルの空想にふけり、絞首台までの移動に必要な107歩をなんとか進むのだった。
黒い布をかけた上で刑を執行するのが慣例だが、目が見えないセルマが激しく拒否するのでそれは取り払われる。そして刑執行直前にセルマはジーンの名を何度も呼ぶ。刑を見届けに来た親友のキャシーは「ジーンの手術が成功した」ことを伝えると、セルマは安らかな様子で歌い始めた。今までの空想とは違い、ここでは確かにセルマは歌っている。執行人たちはそれに戸惑うも、ついには床を開くための装置が動き、セルマは死ぬ。

セルマが最後に歌っていた歌詞である「これは最後の歌じゃない」というメッセージが画面に表示され、終幕。

感想・評価

「バッドエンドな映画は何か?」という話題で「ミスト」辺りと並んで1番目か2番目かに挙がって来るであろう映画。今回初視聴。

低所得者セルマが物語進行に従い視力を失っていき、さらには隣人トラブルで殺人刑を背負うことになり、せっかく減刑のチャンスを得ても、それもまた低所得者であるが故に息子の手術と天秤にかけることになって諦め、ついには空想に逃げ込んだままに死刑が執行される。そんな救われない映画。
「音に聞く鬱映画、ダンサー・イン・ザ・ダークとは一体どの程度救われない話なのだろうか?」という気持ちで、つまりは「酷く鬱になるバッドエンド映画だぞ!」ということを頭に叩き込まれた上で視聴したわけだが、そのせいかどうしてもショックは少なくなってしまったという感じだった。そもそもバッドエンド映画として有名だから自分の耳に入ったのだし、そうでなければこの映画を観ること自体が恐らくはなかっただろうから仕方が無いと言えば仕方ががないが、やはりできれば事前情報無しで見たかったな、というのが正直なところではある。

だがだからといってつまらなかったのかというとまったくそんなことはなく、ずばり、ミュージカルシーンが面白い。
セルマは働いていた工場をはじめ、その帰り道でも、なんと殺人現場でも、裁判場でも、更には死刑執行までの107歩を進む間までも、空想で周りの人物たちとミュージカルを演じる。鬱映画であることは知っていても、ミュージカル要素が多分に含まれている映画であるということは全く知らなかったため、この点だけはサプライズとなり、またそれがとても面白かったのだ。
だってねえ、自分が何発も銃弾撃ち込んだビルが生き返って踊るシーンとかはちょっと笑っちゃうって。さらに何度も行われるそのミュージカルが前振りとなり、一番最後の絞首台の上でセルマが歌い始めるシーンだけは空想ではなく現実であるというのも切なさを加速させる演出ではあるが、空想にふけっている間のセルマは本当に楽しそうだ。確かに主人公死亡のエンドではあるが、一応、息子の手術が成功したことを知った上で安らかに逝っている点はセルマから見れば相当に救われてはいるだろう。キャシーが「ジーンには母親が必要よ!」と言ってお金を弁護士への依頼料に使うように説得する場面があるのだが、そこでセルマは全く間を置かずに「違う!息子の目の方が大事よ!」と反発している。目が不自由であることがどれだけ怖ろしいことであるかを知っているからこそのものだろう。少なくとも息子がその不自由さを味わうことはなくなったということを知り、セルマは逝くことができたのだ。同じようなバッドエンド映画として挙げられる「ミスト」と比べれば、こちらの方がまだ救いはあるとも言えるかもしれない。

そもそも何を伝えたい映画なのかというとよくわからないが、低所得ゆえの、さらには目の障害持ちであるがゆえの理不尽さに気持ちを暗くさせてくれれば制作側としては成功なのだろうか?
少なくともコンセプトの1つは明らかである。ビョークのプロモーションビデオという面だ。言い方を変えれば世界的ミュージシャンが主演を務める映画ならではの「音楽のすばらしさを伝える」のが目的の映画、なんて見方もできるかもしれない。さらに深読みしてポジティブに捉えれば、「低所得や病といった問題を抱えていても、人生を楽しむことはできる!」なんてメッセージが込められているような気がしないでもない。この映画観てそれはちょっとお花畑すぎるかもしれないが、実際、ビルを殺してしまう前までのセルマは決してネガティブにはならず、またビルが金を盗んだ場面ですら怒るようなことすらない。それは音楽のおかげであることが大きいことに疑いはなく、セルマの主観で観ればなかなか幸せだったのだろう。
ダンサー・イン・ザ・ダークってどんな映画?って誰かに聞かれたら「音楽ってなんて素晴らしいのかしら!って感じで世界的ミュージシャンのビョークがうったえかけてくる楽しい映画ですよ!」 って言ってもきっと嘘にはならない。でも後で怒られるかもしれないので注意だ。

ミュージカルが行われる回数が多く、それなりに尺も取ってある。多数の役者を使ってのそれは、作中の「現実」の悲壮さとはまるで対照的で、豪華絢爛とも言えるような演出だ。「ここを見せたい!」という意図がまざまざと伝わってくるようである。それに力を入れているミュージカル部分に着目してみるとただただ暗くばかりではない、もしかすると笑える映画にもなり得るかも?むしろこれよりは、全体的に鬱屈としているレスラーの方が痛々しいものがあったかもしれない。とにかく鬱バッド胸糞エンド映画という感じで有名な作品だろうから、「ただただ暗い映画というわけでもない」ことを個人的には強調したい。

登場人物紹介

セルマ

空想癖のある主人公。先天性の目の病により失明することが定められているが、それを誤魔化すかのように色々な場面でミュージカルの空想をし、現実逃避をする。息子にだけは絶対に病気で苦しんで欲しくないと考えたために手術費用として約2000ドルを貯めてきたが、ビルに盗まれる。

キャシー

セルマよりもかなり年上のようだが、親友。セルマとは職場が一緒というだけではなく、ミュージカル教室でも一緒。夜も働くことにしたセルマを助けるために参じたり、目が見えないセルマのために自分が泥をかぶって目標地点までの距離を測るなどする。結末はともかく、こんな親友がいただけセルマは幸せだったろうと思える。セルマの刑執行刑直前には半狂乱状態のセルマを見かねてジーンの手術が成功したことを強引に知らせる。

ジェフ

セルマに惚れている男性。生え際が後退しまくっているし、若くはないし、カッコよくもないのでパッと見が悪いが、純粋にセルマの事を想っている。セルマからも悪からず思われており、「付き合うならあなたよ」とも言われている。キャシー同様、セルマの刑執行に立ち会っている。

ビル

セルマの隣人の警察官。金に困っていることをセルマに打ち明けたところ、セルマが同情して目の病気や金を貯めていることをこいつに話してしまったのが運の尽き。こいつさえいなければ悲劇は生まれなかった。やたらとタフで、何発も撃たれたのに死なず、さらにセルマから頭部に打撃を受けてようやく絶命。その後ミュージカルシーンではゾンビのごとく蘇りセルマと踊る。ほぼ失明したセルマに気付かれないようにしてセルマの貯金箱の在り処を確認する狡猾なシーンはなかなか印象深い。画像もそれの模写。

項目別評価

噂に違わず後味の悪い映画。事前に「死刑執行になる」ということを知ってしまった状態、覚悟している状態でも充分そう感じた。が、何度となく行われるセルマの空想のミュージカルは、凄惨な現実とのギャップで無暗に楽しそうに見えて、ただただ悲壮な物語かというとそうでもない。ビョークのPVとしての側面もある?

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