時をかける少女(アニメ映画) 評価 -凡人の感想・ネタバレ-

凡人の感想・ネタバレ映画>時をかける少女(アニメ映画)

執筆日:2015年7月19日

評論

細田守監督、原作は筒井康隆が1967年に出したいわゆるジュブナイル小説。原作は実写化もされているが、このアニメ作品は単純な小説のアニメ化というわけではなく、小説の20年後という設定であって主人公も原作とは違う。
7月17日ロードショー。同監督の最新作「バケモノの子」公開に合わせて、サマーウォーズ、おおかみこどもの雨と雪、そしてこの時をかける少女が放送された。
何回かロードショーでやってる作品であって、自分の場合は今回が3回目の視聴だ。一般的に見て好意的な評価が多いであろう今作だが、今回、3回目の視聴なりに、またやや年をとったおっさんなりのやや辛い意見を書くことにする。

物語のあらまし解説。この作品は小説版の20年後の世界ということになっていて、小説版の主人公である芳山和子が主人公の叔母として登場する。
高校二年生の少女、紺野真琴は元気が取り得のボーイッシュな少女。家の近くの長く急な坂のある通学路をいつも一気に下ったりする快活さが売りで、クラスの中でも目立った存在だ。そして男友達の間宮千昭と津田功介とは仲が良く、いつも3人だけで野球をやっていた。二人の男友達は女子人気も高い。

ある日、真琴は理科実験室で奇妙な物体を見つける。そして自転車で踏み切りに突っ込んだのをきっかけに時間を逆行するタイムリープを自分が行うことに気付く。それを使って最悪だったテストの点数を挽回したり、妹に食べられたプリンを食べたり、カラオケを好きなだけ楽しんだりする。
だがある日、あくまで友人関係のラインを出ない千昭から告白されてしまう。それを受け止めることができない、現在の関係を壊したくないという想いからタイムリープにより徹底して千昭を避けるようになってしまった真琴。そして彼女は、自身の腕についた数字に気付く。それはタイムリープが行える残り回数であることにも。

そんな彼女にハプニングが訪れる。ブレーキの壊れた真琴の自転車を借りた功介が通学路の長い坂を下っていき、踏み切りに突入、功介は自転車の後ろに乗せていた功介の彼女もろとも電車に轢かれる。真琴のタイムリープ可能回数はこの時点で0回。もはや取り返しがつかない。
だがその瞬間、時間が止まる。目の前には千昭が。実は千昭は、(恐らくは酷く荒廃して人口も著しく減少した)未来から来た人間であり、「白梅二椿菊図」という絵を見たいがために過去の世界に来たという人物だった。彼のタイムリープ回数は残り1回だったが、功介を助けるために使ってしまったためにもう戻れないことになり、そして彼は「過去の世界の人間にタイムリープの事実を知られたら姿を消さなければならない」という未来の掟に従い、真琴の前から姿を消してしまう。

消えた千昭、そして千昭の気持ちを無視して避け続けてきたことを悔やむ真琴。もう取り返しがつかないかと思っていたが、功介を助けるために千昭がタイムリープを使ったのでその分真琴のタイムリープ回数が1回だけ残っている状態までに戻っていたということでもあった。
それを使ってまたタイムリープを行い、千昭に対して今まであったことを打ち明ける。掟により姿を消すことになるのは同じだが、それでもタイムリープ回数を1回残した千昭は未来に戻ることができる。真琴は千昭が見たがっていた絵が未来にまで存在できるように努力するとの約束を交わす。が、別れは無情にやってくる。別れを惜しみ泣きじゃくる真琴に対して千昭がキスするかのような所作で顔を近づけ、耳元で「未来で待ってる」とささやき、真琴は「走って行く」と答える。
千昭が去ってしまったものの、夏の空の下、真琴の気持ちは晴れやかだった。

タイムリープというSF要素がメインでありながらも、実際のところそこはあくまで添え物であって、本質的にはド直球な青春ものである。好きだけど好きとは言えない、関係を壊したくない、向かい合う勇気が出ない。そんな甘酸っぱいお話。真夏の空が全編通して映されるノスタルジックな映像と合いまり、現役10代だけでなく、社会人も楽しめる作品だろう。

今回3回目の視聴なのだが、妙に気にかかってしまったことがある。
ずばり声優の下手さだ。紺野真琴の声を担当している女優、仲里依紗のあまりの下手さがもうチャンネル変えたくなるくらい、聞くに耐えなかった。ジブリアニメの棒読みも致命的に気になったことがないのだが、これだけは許容できない。声が駄目で視聴を中止する衝動にすら駆られたのは洋画「LIFE!」の岡村隆史吹き替え(吹き替えなのに関西弁というとんでもないもの)以来のことだった。要するに、もうすでに2回も見ていてストーリーは分かっているため、その分演技に気が向かってしまったということだと思うのだが、にしても酷い。「こういう棒読みがリアルっぽくて良い」とか「声優のアニメ的な演技より合ってる」とかいう意見も当然あるわけだが、自分は完全に否定派だ。

それと、ちょっといくらなんでも青春的な記号を使いすぎかとも、今回改めて思った。
「真夏」「キャッチボール」「友人以上友達未満の壊したくない関係」「自転車二人乗り」「全力疾走するヒロイン」「川沿いの夕日の土手」など。
ちょっとテンプレすぎやしないかと。それゆえにリアリティがない。ジュブナイルもジュブナイル過ぎる感じで少々胸焼けしそうだった。

ついでに、主人公、ミニスカート履いて転げまわって飛び回って、きわどいシーンが多いのはちょっと狙いすぎてるかとも。高校生らしい下品さなんて存在せず(千昭の台詞でオ○るなんて言葉もあるにはあるが)健全きわまりない内容であり、あくまでオタク以外にも受けるように作ってあると思うのだが、そういうのを入れるとやっぱオタク側に寄ってしまってちょっとバランスが悪いと思う。スカートひらひらさせて見えそうなのも一度か二度くらいでよかったのでは?そういう意味で、あたかも「喘ぎ」に聞こえてしまうような終盤の全力疾走シーンもちょっと…という感じだ。

あと、関係を壊したくないがゆえにタイムリープを繰り返すという主人公の行動は、反省するとはいえ少し不快さがあるのも確かかなあ。10代ゆえの即物的なタイムリープの利用。これはこないだ見た映画のプロジェクトアルマナックではむしろ好意的に見られたのだが、むしろこっちでは逆の印象を持った。これの場合、リープ能力を全部自分のためだけに利用してるからかも。プロジェクト〜では仲間5人と共有の秘密だし。加えて、千昭の告白から逃げ回るという行動。快活なくせにこういうところでは臆病になるのかよ、みたいなそういう反動ゆえの不快感がある。それがたとえ現在の関係を尊んでいるからゆえのものだとしてもだ。千昭の感情を弄んでしまったと反省するのはタイムリープ出来なくなって取り返しがつかなくなった(と思っていた)ときでようやくというわけだし。例えば、「タイムリープで逃げ回ってちゃ、千昭の感情をないがしろにしちゃだめだ」と自発的に考えるようなキャラであるなら全く印象は違い、素直に好きになれただろうなあ。

ストーリーに難癖をつけると、ラストの真琴の「走って行く」というのもどういう意味合いになるのか?と真剣に考えるとややモヤモヤするものもあるのは確か。
まず千昭のために絵の保存に尽力するということは間違いないだろうが、真琴自身が未来へ行くための何らかの努力もするのだろうか?と考えてしまった場合、それは流石に実現は無理そうなので、別れのシーンの台詞が「勢いだけで言ったんじゃ?」という印象を受けてしまう。あの言葉が二人の間接的な告白でもあったのだろうから、あの瞬間、そういう言葉を交わしたこと自体に意味があった、とも取れるけども。

項目別評価

1回目、2回目の視聴ではそれほど気にならなかったのに、3回目の視聴となった今回ではなんか嫌に声優の下手さが気になってしょうがなかった。主人公、真琴の性格も好感持てるもんじゃないのでキャラクターを厳しい評価に。声はボソボソ話すキャラクターだったらあんまり気にならんのだろうなあ。快活キャラで声が下手というのは致命的すぎるんだなと3回目にして痛感した。笑い声とか目もあてられない。同じく俳優起用の多いジブリとかで俳優、女優が担当するのは全て許せる自分だし、細田守監督なら同じく俳優女優が声を担当しているサマーウォーズもおおかみこども〜も気にならなかったが、この作品だけは残念ながら許容できない。

やたら辛い評価になってしまったが、上の通り、ストーリーは既に知ってるからゆえに気になったという形だ。あくまで2015年7月のロードショーで見た感想だ。初視聴なら楽しめる映画だと思うし、実際自分もそうだった。思えばこの作品の1回目の視聴は5年くらいは前だったはずだし、自分も5歳以上年をとったわけだ。
青春的な記号を使いすぎ、なんて意見も上に書いたが、多分自分はもう、この作品がターゲットとしている年齢から外れたんだと思う。間違っても老人向けでないのは確かだし、年齢は選ぶだろう。10代〜20代前半くらいで初めて見るのなら大概は楽しめるはず。

凡人の感想・ネタバレ映画>時をかける少女(アニメ映画)