アンネの日記 -凡人の感想・ネタバレ-

凡人の感想・ネタバレ>アンネの日記

執筆日:2017年3月01日

あらすじ・感想

誰もがタイトルだけは知っているであろう「アンネの日記」。2月下旬、図書館から借りて人生初の読破となったのでここに感想を書く。

恥ずかしながら白状すると自分は、アンネの日記という作品は、アンネ・フランクが「強制収容所で書いた日記」だと思ってました。いや、そうだとしたらおかしいとは思ってはいた。だってナチスの代名詞にすらなっている強制収容所がそんな自由や余裕があるような生ぬるい場所でないことくらいは知っていたから。でも「収容所で死んだ人間が書いた日記」である以上、まあとにかく何らかの手段をもって収容所で書いたものなんだろう、と思っていたのだ。しかしそこからもう大外れ。アンネの日記というのは、1944年にナチスに囚われる前、1942〜1944の間に、ナチスから逃れるために、アンネ・フランクが13〜15歳までの間に隠れていた隠れ家で書いた日記なんです。もし自分のような勘違いをしている人がいたら、下手すると赤っ恥をかくので気を付けよう!そんなのお前だけだよと言われれば返す言葉はない。

そして内容はというとタイトルの通り「日記」であるので、起承転結があるような文学作品ではない。解説がなされている前書き、後書きを除けば、〜年〜月〜日という執筆年月日の後にその日の日記が綴られる。それを2年間分だけ繰り返されるというだけの内容だ。執筆者アンネ・フランクは日記を出版する気ではいたらしいのだが、基本的にはとりとめもない文章が多い。むしろ、ナチスの占領下にいることへの恐怖、不安といったものに関して書かれている部分はそれほど多くない。アンネ自身、1944年、末期の日記において「自分は政治的なことはあまり書かない」というようなことを語っている。

じゃあ何が大部分を占めるかというと、7人の同居人、それに自分たちを援助している協力者たちへの人間観察だ。
思春期ならではの鋭い感性での、主に辛辣な、時に好意的な解釈。それが大部分を占めている。特に母親のエーディト・フランクへは、300ページほどもあるにも関わらずほとんど一切、好意的な記述は存在しない。これが原因で戦後しばらくはエーディトに関する文章のみ削除されていたらしい。快活だが毒舌なアンネ・フランクの忌憚のない心情が、「キティ」という仮想の人物に宛てたものという形式で綴られているのである。

恐らくは読んだ者の多くが同じ事を思うだろうが、まず、13歳〜15歳が書いたものとしては信じられないほどの文章力に驚嘆する。
何を隠そう、このサイトで自分が各種感想を書き始めた動機の一つは、文章力を鍛えようと考えたからというのが大きい。読書感想文では碌な文字数書けず、書けたとしても支離滅裂…学生時代はそんな感じだったのをややコンプレックスに感じていたので克服しよう!と考えたのである。そんな自分だからこそ特に意識して読んでしまうのだが、こんな文章、15歳の時分じゃ到底書けねえ…と敗北感すら覚えた。いや、今だってだ。はっきり言って、自分などのお堅いばかりの文章よりはよほどしたたかに、柔軟に、バリエーション豊かにその時その時の感情の機微を書き記すことができている。
アンネ自身、将来物書きになるのが夢であり、また日記中で「文章力には結構自信がある」という旨の記述もあるが、それは全く自惚れではなく、客観的に見て確かなものだと思える。まず、「仮想の人物に宛てる体にする」というその形式自体が凄い。並みの知的レベルじゃこれ自体、思いつきもしないのではないだろうか?だがこの形式ゆえに、この日記を読む人間はアンネの親しい友の立場になって読むことができ、アンネから親しみを持って接せられる安心感を得ることもできるのだ。アンネからしても、「友に向けての手紙」という体裁にすることで言葉は弾み、モチベーションも高まるのだろう。
実は自分も昔日記を書いていたことがあるのだが、それはごく普通のものだった。ただただその日の出来事を機械のように無味乾燥に書き留めるものでしかなかったように思う。おそらくアンネはこれを避けたかったのだろう。「日記でありながら手紙でもある」のである。そのため文章がとても人間味溢れており、退屈さはないのだ。これを13歳時点でごく自然に思いつくという時点ですでにおかしい…。

このアンネの日記、世に出すにあたっては、父親のオットー・フランクが検閲をしたことをはじめ、第三者によりいくらかの添削はなされたらしい。が、もちろん必要以上に手を加えてはいないようだし、そうするとやはりここまで「読ませる」文なのは紛れもなくアンネ自身の力量によるものが大きいのだろう。「ナチスドイツの悪行を世に知らしめす資料」という一面があるからこそこの本は世に出、有名になったのはもちろんなのだろうが、この文章力なくしてはここまでのヒットたりえなかったのではないだろうか?とにかく、その豊富かつ的確な語彙と表現には感心するばかりだった。

1944/8/4にナチスSSに捕らえられてからは無論のこと日記は書かれておらず、アンネは1945年の3月上旬にベルゲン・ベルゼン強制収容所で、姉のマルゴーとほぼ同時期にチフスに罹って死亡したと推定されるらしい。このベルゲン・ベルゼンという場所は、チフスが大流行した、最悪の衛生環境だった収容所ということで有名。恐らくナチス関連の実録物としてはアンネの日記に次ぐ有名作である「夜と霧」の前書きで収容所の解説に登場する医師の言葉によると「今まで見てきたどんなものよりも酷い」というような有様だったらしい。この医師というのは、戦場で凄惨な現場を渡り見てきたという人物である。そんな人物をして、ここより酷いものはこの世にないとまで言わせたのが、アンネとその姉マルゴットが死んだベルゲン・ベルゼン強制収容所なのである。
アンネは自分で言う通り確かに、実年齢よりも大人びた「おしゃまで熟成した」人間ではあったかもしれない。とはいえ、そんなものせいぜい、実年齢と比べて数年程度のものである。そこまで逸脱して大人だというわけでもない。母エーディトに大して辛辣なのも、誰もが通過する「反抗期」だということを表しているのだろう。そんな多感な15の女子が、こんな地獄よりも恐ろしいような場所に放り込まれ、一体何を思ったのか?アンネの日記を読み終える頃にはアンネへすっかり親しみが湧き、また日記の終盤は人間賛歌を謳うアンネの言葉が目を引くのもあり、その最期を思うとなんとも言えない気持ちになるものがある。せめてそれほどの苦しみはなかったことを祈りたい。そのような場所で過ごしたという事実がある以上、例えそうであったとしても慰めにもならないかもしれないが…。

要点まとめ

「日記」であるのであらすじというものを書くのは難しいのだが、それでも1942〜1944の中で日記からアンネを取り巻く状況の移り変わりを読み解くことはできる。それを含め、このアンネの日記に関する要点を自分なりにまとめてみた。

凡人の感想・ネタバレ>アンネの日記