ドラゴンボールZ 神と神 評価 -凡人の感想・ネタバレ-

凡人の感想・ネタバレアニメ>ドラゴンボールZ 神と神

執筆日2015年04月18日

評論

2015年4月18日に新作映画「ドラゴンボールZ 復活のF」公開に合わせて地上波放送となる2013年作品。去年も放送していたのを見て、その前にレンタルもして見たので正味3回目の視聴となる。
実写版ドラゴンボールのあまりの酷さに原作者鳥山明が危機感を覚え、自ら監修を行ったというのがこの作品だ。なんと全体の90%にもなる領域において台詞やプロットの製作に鳥山明が関わっているのだという。

2013年当時、今更にドラゴンボールの新作映画が製作されているということに驚いたもの。90年代のドラゴンボールの劇場版映画というのはほとんど視聴したのだが、思えばそのほとんどは子供である当時の印象としてそれほど優れた作品であるとは言いがたかったと思う。とはいえ、クウラ、メタルクウラと戦うものなどは好きなのだが、どれもひねりがないというか、「劇場版オリジナルの敵が現れ、悟空が倒す」というそれだけである。
時を10年以上へだてて作られるという新作映画への期待と不安は自分の中で高まっていたと思う。結論から言うと「間違いなく過去最高の劇場版ドラゴンボール」だった。本当に素晴らしい。童心に帰らせてくれるものだったわけで大満足だった。
しかしここでは、「神と神」の具体的な内容を語る前に、まず原作ドラゴンボールの話をしたい。

ドラゴンボールという作品は無印ドラゴンボールと、マジュニア戦以降のドラゴンボールZが存在しているのは多くの人間が知っているところだろう。そして「Z」になって以降は無印のような冒険譚ではなくバトルがメインとなっていったことも。結局、時代がバトル路線を求めていたのだろう。しかしドラゴンボールの空を飛びまわり光の弾を撃ち出すというバトル描写は以降のバトル漫画にとてつもない影響を与えたのは間違いなく、バトル漫画として未曾有の大ヒットとなったわけだ。
自分もその文句なしに格好いい超人バトルにしびれていたわけだが、フリーザがボスであるナメック星エピソードの次の人造人間編、さらに続く魔人ブウ編において、ある違和感を覚えていた。

それは確かに引っかかりながらも胸にもやもやとしているばかりで、はっきりと言葉には出来なかったのだが、この「神と神」を見たことにより、ようやくそれの正体が分かったのだった。

ずばり、「悟空が挑戦者ではなくなってしまった」ということなのだ。

簡単に言うと、全宇宙最強最強の敵であるフリーザを倒し超サイヤ人になることができるようになった悟空は、「どこか余裕かましている」のである。台詞や行動がどうも若干鼻につくものになっているのだ。とはいっても知っての通り悟空というキャラクターはただただ自然体であるがゆえのものであるので、あくまで以前と比較すると、という感じだが。

例えばタオパイパイ戦、ピッコロ戦、べジータ戦、そしてフリーザ戦。
10代から20代にかけての悟空の対戦相手はどれも悟空より格上であることが多く、悟空はいつでも「挑戦者」の立場だったのである。

だが、フリーザ戦以降を見ると、それが薄れてしまっているのがわかる。
人造人間19号には心臓病があったとはいえ敗北、精神的に未熟があったことをべジータに指摘されている。また、ナメック星から帰還後に数年の間が置いているにもかかわらずここでは悟空はほとんど成長している描写がないのだ。はっきり言えば、宇宙最強とされるフリーザを倒したことにより慢心していた、と見ることも出来る。
次の戦いは一気に完全体のセルとの戦いになってしまうわけだが、この戦いなどは息子の悟飯に託しているので最初から勝つ気がないのだ。息子に超えられるというのは悟飯への主人公交代の布石とはいえ、悟空というキャラクターからすればこの、「はなから勝ち目がないものとして挑む」というのはすごくらしくない行動だと思う。それまではただただ死力を尽くしたがゆえに格上を撃破してきたヒーローの悟空が行う行動としては非常に落胆させるものだとも言える。
そして魔人ブウ編。ここではバビディ宇宙船の中でヤコンという敵を相手にするわけだが、完全に悟空よりは格下。余裕かましての勝利である。
次は魔人べジータとの戦い。宿命のライバルとの戦いではあるが、あくまで仕方なく行った戦い、不本意な戦い。これはもう戦いのうちに数えなくてもいいだろう。
次はふとっちょ魔人ブウとの戦い。ここで悟空は超サイヤ人3となって戦うわけだが、時間制限がある変身であるので適当に流して撤退してしまう。全力で戦ったものなどではない。
次は合体魔人ブウとの戦いをポタラによる合体でベジットとなって戦う。これはもう完全に圧勝だ。
最後の戦いは純粋魔人ブウとの戦い。原作ラストバトルのここでは流石に死力を尽くしきって戦っているのでまあこれはいいだろう。

こうしてみてみると、フリーザ戦以降の孫悟空は、フリーザまでのように「限界の限界まで絞りつくして戦う挑戦者」という姿がほとんど消えてしまっているのである。自分はこれにどこか違和感、気持ち悪さ(というほどのものでもないが)を持っていたということになる。一時は息子の孫悟飯に主役を譲る流れになっていたが、結局は悟飯は悟空に変わるヒーローにはなれなかったわけで、悟空はその煽りを受けたと見ることもできるかもしれないが。まあ理由はともかく、戦いの最前線に必ずしも立たなくなり、ただただがむしゃらに戦うキャラではなくなってしまったのである。

そしてようやくこの「神と神」の話になるのだが、この作品での悟空はまさに「挑戦者」である。
サイヤ人としての血をたぎらせ、完全に格上の破壊神ビルス相手にもひるまずに挑むという、孫悟空というキャラクターとして最も「らしい」姿を全編通して見せてくれるのである。この点、この作品を評するにあたって非常にポイント高い。
いくら強くなろうとも、上には上がいる。だがそれを聞くとますますワクワクしてしまう。それが孫悟空だ。この作品の時間軸は魔人ブウ編の数年後であるのですでに悟空の年齢は40近くにもなっているのだが、いくつになっても悟空というキャラクターのあるべき姿はやはり「挑戦者」だと思うのだ。
敗色濃厚な強敵に150%くらいの力を振り絞って戦うというのが孫悟空のヒーロー性だったんじゃないだろうか。この映画を見てそんなことを思ったのである。

あとは映画の雰囲気についても触れると、この映画は過去最強の敵である破壊神ビルスというキャラクターが登場していながら、全編通してとても「ゆるい」雰囲気である。舞台はブルマの38歳の誕生日を祝うというパーティ会場であって、映画開始30分ごろから終わりまで、なんと場所の転換がないのだ。このパーティ会場というゆるい雰囲気の中で、ピラフ一味がドラゴンボールを盗もうとしたり、ブウのせいとはいえしょうもない理由でビルスが機嫌を損ねたり、ビルスそっちのけで超サイヤ人ゴッドになるための儀式をやってみたりと、とにかく雰囲気がゆるい。破壊神ビルスのご機嫌取りにべジータがプライドを捨てて歌ったりするのも見所であって、強敵の襲来!かつてない緊迫!なんて雰囲気からは程遠い。しかしこれも、ドラゴンボールがバトル一色になる前、かつて持っていたゆるい雰囲気を思い出させてくれるもので、原点回帰という感じで好印象だ。90年代公開の映画のようなバトル一辺倒の展開も、バトル漫画の金字塔であるドラゴンボールの劇場版として間違ってはいないのだろう。しかし、どこかしょうもない会話やすっとぼけた雰囲気を演出するのもまたドラゴンボールであったはず。この神と神では見事にそれを思い出させてくれるものとなっている。

原作を通して読んでみると思うのだが、ナメック星での戦い以降の悟空は、かつての仲間との距離を感じられるようにも見えるのだよな。この作品においては、すべての始まりとなる邂逅を果たした2人、悟空とブルマのやり取りが多めに組み込まれているし、また悟空とウーロンとの絡みなんてものもある。ウーロンが悟空と話したのなんて原作だと最後がいつなんだろう?とにかく、原作では「強くなりすぎたゆえに遠くへ行ってしまった」悟空の姿を感じられるわけだが、この作品においてはきっちり旧友との会話なども作っているおかげでそういう壁を壊している部分もあると思う。ブルマとかウーロンと悟空が話してるだけでなんか感涙してしまいそうになるこの感覚、昔からのドラゴンボールファンなら大なり小なり分かるんじゃないだろうか。

というわけで、この作品はかつての劇場版のようなバトル一辺倒から脱却し、さらに悟空というキャラクターの本来あるべき姿として描き、さらに原点回帰も感じさせる、素晴らしい出来であると言える。悟空がビルスに勝てないで終わってしまうことにより若干のカタルシスの不足はあるかもしれないが、勝てなかったビル素よりもさらに格上がいるということも示唆しての終わりは、悟空がいつになっても挑戦者であり続けることを示唆してくれるようで、好きな終わり方だった。

項目別評価

おそらく鳥山明監修であるがゆえに形成されたのであろうゆるい世界観がたまらない。気張り過ぎない雰囲気こそがDB世界の魅力なんだと痛感させられる作品。ピラフ一行のやり取りがやや冗長気味にも思えるのは欠点か。戦闘描写は丁寧なのはわかるんだけど、もっとアニメ版っぽく高速でのラッシュやってほしいとも思う。あれって結局、省力演出だったってことなんだろうけど、やっぱドラゴンボールらしさが出てる演出だと思うのよね。

凡人の感想・ネタバレアニメ>ドラゴンボールZ 神と神