びんちょうタン(漫画) -凡人の感想・ネタバレ-

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執筆日2014年12月01日

評論

自分自身、相当なひねくれ者である、という自覚がある。はっきり言えば社会不適合者であるとも。
まず、人と同じことをするのが嫌いだし、何かの組織に属するというのが嫌いだ。人の下につくのは嫌いだし、そもそも関わるのが嫌いだ。

そんな自分が一つだけ、掛け値なしに素晴らしい作品であると認める作品がある。それがこの「びんちょうタン」である。はっきり言えば、自分の人生における一つのバイブルとなっている。

この作品と出会ったのはもう4年ほど前になる。思えばどういう経緯で知ったのかはもはや覚えていない。
ただ明確に覚えていることは、この作品を購入してから数ヵ月の間で、この漫画に泣かされた回数は100を超える、ということだ。これは全く誇張ではない。自分自身、年齢はもう20代後半なのだが、この年にして漫画に数百回泣かされたのである。これだけ聞けば「キモ…」と思われるかもしれないが、だがそう思われても俺は胸を張って言おう。これほど泣ける漫画はこの世に存在しないし、これからも、この作品と出会った直後ほどに泣くようなことはもう間違いなくないだろう。

とりあえずストーリーを。2008年に商業誌としては完結しており、全4巻。
身寄りの無い7、8歳ほどの女の子、「びんちょうタン」が山の中の一軒家で一人で暮らしている。このキャラクターは基本的に、「日雇い労働」によりわずかばかりの収入を得て、それをもってギリギリのところで生活している。物語開始時点では同居する人物も存在せず孤独であるのだが、徐々に友人も増えていき、さらに、原作終了後の、原作者自ら出版している同人誌においては学校に通うようにもなっている。
なお、このびんちょうタンというキャラクターは、和歌山県みなべ町のマスコットキャラクターーともなっている。びんちょうタン以外のキャラクターは、ちくタン、れんタン、くぬぎタン、チシャノキ、などなど、木の種類から取ったものとなっている。作品世界の詳細な解説というのはあまり存在しないので不明な点は多いのだが、町で働く子供はどこかしらに炭をつける、という慣習がある奇妙な世界である模様。。

この漫画、形式としては基本的に4コマ漫画なのだが、シリアスなストーリー部分になると4コマではなく通常の漫画形式のコマ割りとなる。
4コマ部分の内容はというと、大体はびんちょうタン、あるいはその友人のちくタンなどがどたばたする、ハートフルコメディという感じだ。はっきり言って、ここだけ見ればこの作品の対象年齢は小学生であると言っても過言ではない。到底、大人が読むようなものではない。

だが、4コマではないシリアス部分。ここの破壊力が恐ろしい。
びんちょうタンには実は、少し前に同居していた人物がいる。それは「ウメばあちゃん」という、びんちょうタンの名づけ親であり育ての親。びんちょうタンのひたすらに清く健気な性格は彼女の存在により形成されたものだ。

1巻時点ではすでに故人となっている彼女、びんちょうタンの回想でしか登場しないのだが、それを話に絡ませるのが実に巧いのだ。
1巻から、びんちょうタンには亡くした親しい誰かがいることがコメディ話の中にもところどころで示唆されているのだが、明確にされるのが2巻ラスト。
過去のびんちょうタンはわがままであり、このウメばあちゃんを泣かせるようなことばかりしてきた。2巻ラストで描写されるのは、びんちょうタンのためにウメばあちゃんが自身が大事にしていたかんざしを売り、代わりに着物の生地を買ってびんちょうタンに買ってあげるというエピソード。びんちょうタンにとってこの着物は金などいくら積んでも代えられないものであり、びんちょうタンの心の清廉さがこれでもかと伝わるエピソードだ。ぶっちゃけ、ここだけでも大泣きできるレベルなのだが…。

この後、3巻、4巻と、さらにこのウメばあちゃんとのエピソードが描かれる。
特に4巻ラスト3話においては、ウメばあちゃんとの出会いと別れ、そして感動の最終話が。
今まで積み上げてこられたものがここで爆発するわけだ。もうここで泣けない奴は人間じゃないだろ、と思ったほどだ。

自分自身、臭いお涙頂戴の話はむしろ嫌いな部類にある。しかしなぜこんなに泣けるのか。
この物語、全体を通して「人として真に重要なもの」を描いていると思うのだ。理由などつけず、人には親切にすること、優しくすること。正しく生きること。それがたとえ自分が貧困の中の苦難にあってもだ。
また、この世で一番美しい「無償の愛」を扱っている作品でもある。具体的には家族愛だ。びんちょうタンとウメばあちゃんとの、ちくタン&ちくリン姉妹とマダケじいちゃんとの、クヌギたんとスダじいやオーク氏との、れんタンとしゅろ和尚&さかき神主との。どこをとっても純粋な家族愛に溢れており、胸に響く。

「年を取ってくると涙もろくなってくる」とよく言われる。最近、その言葉の理由が自分なりに理解できた。
それは、「綺麗事というのはまさに綺麗事であり、実現するのがどれだけ難しいかを理解する」からだと思う。人には優しくする、理由などなくとも困っている者は助ける。大人になるにつれ、そういう道徳としては当然であるはずの感情がどんどん失われていくのを実感する。面倒ごとには関わらない。自分が損するような場合は他人など放っておくに限る。現実にはそういう選択をした方が正しいことが多いのだから。また、この作品にあるような家族愛とはまるで真逆の、主に親から子供への虐待件数はこの22年で60倍にもなっているという。なんと悲しい事実か。

多くの人間は、本来的には善人でいたいと思っているのだろう。ただ、金がものを言う資本主義社会の激流を進んでいく上でやむなく、自分の経験則として合理的、効率的に生きるようになってしまっているだけで。人間には善なるものと悪なるものの両方が同時に存在しており、それがその時々において顔を出す。だが、善でいることは悪でいることよりもより困難であることを、長く生きていくほどに知ることとなる。だから、人として正しい姿をたとえ綺麗事のフィクションを通じてであっても見せられると、胸に染みるのだろう。大人になって涙もろくなっている人間の涙にはそういう、なかなか見ることのできない人間の美しい側面に魅せられた、現実と理想の差に対する諦めの混じった、ある意味悲しい涙ではないのだろうか。おそらくあまり共感は得られないだろうが、持論である。

なんか一漫画の評論のはずなのに痛い、臭いことを言ってしまったが、とにかく言いたいのは、この作品はそんな大層なことを考えさせるほど、自分の心を動かしたということだ。事実、この作品を読んだことにより自殺を思いとどまったという人間もいるらしい。極貧の中で幼い子供が健気に頑張るというストーリー上、おそらく、自身が例えば金銭的困難にある人間ほど、この作品が響くのではないだろうかと思う。実際、この作品と出会った頃の自分は経済的な招来不安を抱えていて、はっきり言えば「将来に絶望していた」のだった。人によっては当然、全く心に響かないという者もいるだろう。、
この作品に対する入れ込みようでは他の追随を許さない、もっと言えば日本一のファンである自負があるが、無論、漫画を読んだくらいで自分の人生観が変わる、というようなうまい話などない。上述の通りこの漫画を読んで100回以上泣いたのは紛れも無い事実ではあるのだが、それでも日々の生活ではどうしても堕落したり甘えたりしていたのは否定できない。結局、刹那的な感動に身を浸して気持ちよくなっていただけのかもしれない。
だがそれでも、たかが漫画にあれほどまでに、しかも20もすぎた大の大人が心を動かされたという事実は自分にとっては衝撃的だったのだ。もう数え切れないほど読み返したこの漫画、流石に今読んでも号泣することはないが、それでもたまに読み返したくなる。これを読んで号泣していた頃の自分が何を思っていたのか、なぜそこまで心に響いたのか、そこから、人生をよりよく生きるためのヒントがあるのではないか、そんなことを思いながら。これからもこの作品は自分のある種のバイブルとして心の片隅に生涯、据え置かれるのだろうと思う。

すでに書いたが、この作品、作者の江草天仁氏みずからの手により、同人誌として2014年現在も続いている。
季節ごとに開催されるコミックマーケット、いわゆるコミケにおいて氏は少ないページ数ながらも「学校編」を描き続けている。毎度、メロンブックスなどで購入が可能なので興味がある人は氏のウェブサイトをコミケ前にチェックし、購入するといいだろう。
正直、学校へ通うようになってからのびんちょうタンは作品のコンセプトがやや揺らいでいるようにも思うが、何せ氏のびんちょうjタン愛なくしては商業誌での完結後にこんなにも続くことはなかったろう。どういう結末に落ち着くのか想像だにできないが、日本一のファンであることを自負している以上は無論、最後までびんちょうタンの行く道を見守っていくつもりだ。

項目別評価

何かを痛切に訴えてくるわけではなく、特にテーマ性があるわけではないだろうが、琴線に触れて号泣した人は少なくないだろう。作者の江草氏は自然背景を得意としているようで、同人誌の表紙は非常に描きこまれていて美しい。ここは商業誌の評価なので参考にはならないかもしれないが。

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