レスラー(映画) 評価 -凡人の感想・ネタバレ-

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執筆日:2015年10月28日

ストーリー・ネタバレ

まず物語は「ザ・ラム」というレスラーの輝かしい栄光を綴る新聞記事やアナウンサーの実況で始まる。彼がどれだけかつてプロレスを沸かしたのかを強調するシーンだ。
しかしそれが終わると「20年後」のキャプション。咳をするかつてのザ・ラムは静かな控室にいた。そしてプロモーターからショーの報酬をもらうが、さほど多くない。
ザ・ラムことランディ・ロビンソン(ミッキー・ローク)は未だプロレスをやっており、その年齢にもかかわらず激しいショーを行い観客を沸かせるが、プライベートでは家賃すらろくに払えずに管理人から疎まれ車で寝泊まりするような生活をしていた。
そして頻繁にストリップバーへ通い、お気に入りのストリッパーのキャシディ(マリサ・トメイ)を指名している、孤独な男だ。

ある試合で、ステープル(ホッチキスのようなもの)で体に穴をあけられたり、強烈にガラスに叩きつけられたりして重傷を負うような無茶を行う。それに加え、かねてより使用していた薬の作用もあって、試合後の控室で吐き、さらには意識不明になってしまう。
ランディが目覚めると病院のベッドの上だった。心臓のバイパス手術を行ったようで、医者には「もうプロレスは不可能だ」と宣告された。だが一方で、20年前に観客を沸かせた一線であるアヤトラーとのメモリアルマッチが行われることが決定する。

慰みにまたキャシディに会いに行くが、あくまでキャシディは客とストリッパーとしての立場を超える付き合いはしないようにしており、「家族に会いにいったら?」とアドバイスするのみにとどめる。
その通りにして疎遠になっている娘のステファニー(エヴァン・レイチェル・ウッド)に会いにいく。描写はないが、ランディは過去、娘の誕生日も祝うこともなく、家族をないがしろにしてきたようだ。そのためステファニーはランディが「心臓発作を起こした」と言ってさえ「私はあなたの面倒なんて見ない」と冷たく突き放したのだった。
また一方ではサイン会が開催されるも、ほとんどファンは来ない。自分以外の年をとったプロレスラーも暇をするだけであり、サイン会は寂しいものだった。

キャシディに娘の機嫌を取るためのアドバイスを求めにいくランディ。キャシディは一線を越えないようにしているため、最初はお勧めの服の店を教えるだけにとどめたが、思い直して戻り、「自分も買い物に付き合う」と言うのだった。また、自分が勤めているスーパーではフルタイムで仕事を行うように申請する。フルタイムとなると今までのような倉庫仕事だけでなく、惣菜コーナーでの接客を行うしかないと上司に言われる。渋々ランディは承知するのだった。
初めてプライベートで会うキャシディとの買い物で、娘へのプレゼントのために服を買ったランディ。その帰りに飲みに誘う。キャシディは渋々ではあったが承諾。そして飲み屋ではそれなりにランディとキャシディは盛り上がるも、「実は子持ちだ」と告白するキャシディは、どうしても一線を引いてしまい、またストリップをやめることも伝え、ランディを突き放すのだった。一方、惣菜コーナーでの仕事は以外と手際よく気分よく行うランディだった。そしてプロレスは引退すると関係者に電話した。

プレゼントを持って再びステファニーに会うランディ。購入したピーコートが気に入ってくれたようで、車で出かけることを提案すると承諾してくれた。そしてその先で「今までお前をいないものとして生きていた。自業自得だが、孤独になった今、お前に嫌われたくない」とランディは泣きながらステファニーに言うのだった。それを見て悪い顔はせず、ステファニーは気持ちを受け止めてくれ、さらには廃墟で二人でダンスを行ったりと、親子関係は一気に改善したのだった。そして土曜日にはレストランで食事をすることを決めた。
またキャシディに会いに行き、プレゼント選びの礼をしたが、どうしても踏み込んでこないキャシディにランディは「俺の勘違いか?」などと言う。しかしやはりキャシディには強く拒否されて、「じゃあ金を払うから踊れ」などと言い、いさかいを起こしてしまうのだった。
その後、引退した身のランディはプロレスの観戦をしにいった。その帰りでバーで出逢った女とトイレでキメ○クして、土曜日の娘との約束をすっぽかしてしまう。弁解しにいくが、もう完全に娘には愛想を尽かされ、手酷く拒絶される。さらに惣菜売り場での仕事でも癇癪を起こし、暴言を吐きながら店を飛び出し、仕事も辞めてしまう。

自暴自棄を起こしたランディは引退を取り消し、20年越しのメモリアルマッチをやはり行うことを決意する。試合前、ひどいことを言ったと謝罪に来たキャシディにもそっけなく、「プロレスを見に来い」と言うのみだった。
試合当日。ストリップバーでいつもと同じく働くキャシディだったが、思い立ってランディの試合会場に向かう。
「心臓が悪いのだからやめて」と言うキャシディに対して「俺にとっては現実の方が痛い。リングが俺の居場所だ」と言い、リングへ向かう。そしてリングに上がってから「落ち目だと言われようが、俺にレスラーを辞めろと言えるのはファンだけだ」とマイクパフォーマンスをして試合が開始される。それを見ていたキャシディは涙し、見るに堪えなかったのか、試合は見届けずに去ってしまう。

心臓に不具合を起こしながら、対戦相手のアヤトラーにも心配されながら無理に試合を行うランディ。さきほどまでキャシディがいた場所を見てももう彼女もいなくなっていることを確認しながらも、観客から盛大なコールを受けてリングコーナーに上がり、必殺技の「ラム・ジャム」を繰り出そうとコーナーからジャンプしたところで物語は終わる。

感想・評価

初見の映画を見る場合、事前の印象とか短い概要とかを見て、まず誰しも内容を勝手に想像してしまうもんだろう。特に想像力たくましい自分の場合はその傾向が人より強いんじゃないかなとも思っている。
そしてこの映画についての事前イメージは大体こんな感じだった。

「すでにピークを過ぎ、若手に馬鹿にされ、プライベートでもうまくいかないロートルレスラーが、なんやかんやあって最後には元妻、娘、バカにしていた人間たちが見守る中で全盛期と変わらぬ盛り上がりを見せる試合で最高に輝き大復活!そして試合後には妻や娘との確執も消え、万々歳!」

という具合。しかし映画を見終わった後には「我ながら安っぽい頭してるな」なんて反省した。そんな薄っぺらくおめでたい話ではなかった。ひどく現実的で、目をそむけたくなるような悲壮でリアリズムに満ちた作品だった。全体通してBGMもほとんどなく、演出は徹底して抑えている作りになっているため、とにかく悲壮感や悲哀ばかりが伝わってくる。
最後のリングですらも、ラムの耳に聞こえるのは名も知らぬプロレスファンの歓声のみ。ラムにとって最後の親しい人物であるキャシディすらも去ってしまっていることをラムは確認してしまう。自らは息も絶え絶え、ラストにはさながら自殺でもするかのような、心臓なんぞ知ったことかと言わんばかりのダイブである。

特に意外だったのは、ラムはリング上においてはミスをしたり嘲笑されることがないということだ。リング、というかプロレスに関しては、作中でなんとただの一人もラムを馬鹿にせず、むしろ全員がかつてのドル箱レスラーとして敬っているのだ。
しかしだからこそ、最後のリングに上がる前にラムがキャシディに言う「俺には現実の方が痛い」という言葉が重い。誰しもが敬ってくれるプロレスのリングはラムが言うように「居場所」かもしれないが、悪く言えば「逃げ場所」なのである。彼がレトロゲーム機でのプロレスゲームをプレイして近所の子供にちょっと馬鹿にされたり、80年代のガンズ・アンド・ローゼスをほめたたえ、90年代のニルヴァーナをけなすシーンもあるが、ランディは知ってか知らずか、80年代のかつての栄光にいつまでもすがっている。衰えたとはいえ、その頃の気持ちを思い出させてくれるプロレスリングは、衰え、孤独な毎日を送るランディにとって最後の逃げ場なのだ。最後の試合前にキャシディに放つ言葉は、それまで劇がかった部分のない作品であるのに、このセリフだけいかにもフィクションじみている。だが、だからこそあまりに重く、ラムの悲痛が伝わってくる。

それはそれとして、ラムが生粋のレスラーであったということだけは確かだ。例えば音楽の世界だとパンクロックバンドのセックスピストルズのメンバー、シド・ヴィシャスは数々の伝説を残した悪童であり、自分自身が予言していたように21歳で早死にしたのだが、ベースすらろくに弾けなかったという話すらもささやかれる彼が未だに有名なのは、パンクの名を体現したかのような生き様が語り草となっているから、というのが大きいだろう。もっと言えば、パンクロックという概念を真に体現するには音楽という枠組みを離れ、生き方それ自体がそうである必要があると、多くの人間が知っているからこそ、シド・ヴィシャスは伝説となっているのだ。彼の言葉に、「ステージ上ではパンクの格好をして、実際の自分とは違うパンクスのフリをしといて、家に帰れば襟のついたシャツとネクタイを締めるようなグループがいるけど、あんなのは信じられない」というのがあるが、まさにそういうことだ。シド・ヴィシャスがプライベートでは真面目で良い人だったりしたら、ピストルズの曲なんて知らない自分が彼の名前を知っていることは多分なかったのだろう。
プロレスという相手の、そして自らの体に傷を刻み付けるという非常識が常識である世界も、また同様のはずだ。綺麗事や社会の常識から外れた、いや、いつの間にか外れている人間こそが、骨の髄までその世界に漬かった人間であるのだ。離れようとしたのにレスラーゆえの粗暴さやぶっきらぼうさゆえにか自業自得で破滅を招き、その先にはいつの間にかリングの上にいて、命と引き換えにショーを行ってしまっている。ラムはまさに年齢は関係なく生粋のレスラーには違いなく、その姿、生き様は善悪を超えてただただ見る者の心を打つ。

とにかく一言では言い表すことができない、名伏し難い感情を喚起させる映画だ。馬鹿な父親だという感想が出るのも当然だし、プロレスラーってすげえなという感想も出るかもしれないし、50も過ぎた男がストリッパーを口説こうとする姿は哀れだ、という感想が出ても自然だ。しかし見た者にどういう形であれ人生というものについて考えさせてくれる、心震える映画には違いない。

項目別評価

人によって感じ取れるものが全く異なってくる映画だと思う。まだそれなりに若い自分の場合、「いずれ衰え身体の自由が効かなくなり、病苦を抱えた時、何を拠り所に何を考えて生きるのだろう?」というようなことを考えさせてくれる映画だった。少し調べれば、監督がラムと同じように完全に落ち目と言えるミッキー・ローク起用にこだわったこと、そしてミッキー・ロークが役作りのために苦労した逸話などが出てくるが、それらは決して無駄ではなかったと思えるに十分。
主人公に救いがなく、見ていい気分になる映画ではない。決して万人向けではないが、演出を控えてリアリズムに徹したビターさが心に染みる、色々と考えさせてくれる、見てよかったと素直に思える作品だった。

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