ニューガンダンガンロンパV3 評価・考察 -凡人の感想・ネタバレ-

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執筆日2017年2月16日

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ネタバレ評論

現在進行形で某通販サイトのレビューなどで絶賛や酷評の評価が投下されているニューダンガンロンパV3。その感想や評価をば。この一か月、あまりに忙しくて書く余裕がなかったが、ようやく2/16に書く時間を取れた。

公式で2章以降のネタバレ禁止のお触れが出ているので、例え文章としても書くのは少し憚れるのだけども、すでに発売から一月以上経過したし、たかが個人サイトの1ページだし…という感じで遠慮なく書いていくことにする。あまり個別の事項には触れない、物議を醸した6章と結末にスポットを当てた、プレイした人間だけがわかるような感想なものの、一応ネタバレ注意。



ダンガンロンパシリーズは媒体問わず、作を追うごとに、プレイヤー(受け手)側に展開を読まれることを著しく嫌ってきた作品だと思う。もちろん、基盤となるジャンルが推理、ミステリーものなのだからそれは当然とも言えるが、プレイヤー目線に立って熟考したうえで、過剰とも言えるほどにそれを展開を避けてきている。作を追うごとになので近年になるほどそれは顕著になる。V3の前の直近作品となると昨年秋放送のアニメ、ダンガンロンパ3になるが、特にあれはその傾向が強い。黒幕があの人物だったということは読めた視聴者はいたとしても、その動機について納得はできない部分が多く、色々粗が多いと自分も感じた。それゆえにあの結末は相当に否定意見も多かったようだ。
だが少なくとも、結末を読めた人間はほとんどおらず、たとえその結末に対して納得がいかずとも、それが明らかになるまでは多くのファンは楽しんでていたはずなのである。何せ自分も、こんなちょっと痛い記事を書くほどに熱を上げて視聴していた。
ちなみに先日2/11、12に、某動画サイトでダンガンロンパ3の一挙放送をやっていたので改めて観たのだが、真実を知ったうえで見るとやっぱ色々と雑だな…酷いな…と思わざるを得なかった。
だが、それでも、去年の秋の放映時には夢中でああかなこうかなと考えながら見ていたし、その間は間違いなく虜になっていた。何か大きな謎がある作品は、それが分からず、考察・想像している間が最も楽しい。アニメ3の結末に否定的な人間でも、そうではなかったとは言わせない。ダンガンロンパが好きならばあの時期はほとんどがそうであったはずだ。思えばゲームの1だって2だってそれは間違いがない。逆に言うと、ダンガンロンパは決して周回プレイに向くゲーム性ではないのは誰もが認めるだろう。 これは2017年2月現在大ヒット中のアニメけものフレンズにも全く同じ事が言える。あのアニメが単純なキャラの可愛さとかほのぼのとかそういう要素だけでヒットしているのではないのは誰だってわかるだろう。

ニューダンガンロンパV3を評価するにあたっても、同じ観点からの見方が必要だと思う。謎が分かってしまったミステリーほど白けるものもない。だからこそきっと、何を犠牲にしてでも、結末を読まれないこと、初見プレイヤーに衝撃を与えること、度肝を抜くことを優先しているのである。まるでそれがダンガンロンパの義務であるとでも言わんばかりにだ。何が何でも予想を裏切る、アニメ3で江ノ島盾子が何度もバカにしている事象である「予定調和」を避けようとしている。受け手に「まさか」というような衝撃を与えようとしている。
黒幕の動機や手段などに粗が見えるアニメ3は結末を知れば決して納得のいくものではなかったのは確かだが、少なくとも「結末を読ませず、その過程を楽しませる」ことに関しては成功していたと見てもいいだろう。ゲーム3作目であるV3に関してもこの点は余裕でクリアしており、なおかつその結末というのもかつてない衝撃をプレイヤーに与えてくれるものとなっている。今作の肝は、それがさらに必ずしもプレイヤーに良い感情を喚起させるものではないということだが、むしろだからこそ、月並みだが、ダンガンロンパらしい結末であると言えると思う。

今作ニューダンガンロンパV3は、ゲーム後半からはいくつかのミスリードが散りばめられているが、仮にその通りの展開だったら、プレイ後はどういう感想になっただろうか。
例えば、超高校級の昆虫博士の研究教室を調べれば「ノアの箱舟」を思わせるような種の保存がなされていることが分かるが、この時点で大半のプレイヤーは「主人公たちは地球を脱出した最後の人類」であることを想像する。
また、終盤の思い出しライトで過去シリーズと繋がりがあることを思わせる展開になった時は「希望ヶ峰学園シリーズと同じ世界かよ…新章開幕、世界観一新って言っただろ…」と失望するプレイヤーも多かっただろう。
だが、事実はそのどちらでもなく、劇中で突如、キャラクターたちがプレイヤーの方を向いて話し出したとでも言うような、度肝を抜く展開だった。仮に上に挙げた2つのミスリード要因のどちらかが真実であったのなら、まさに予定調和、プレイヤーとしてはさほどの衝撃も何も感じることはなかったはずだ。
なにせ各種サブカルのパロネタ、ネットスラングを躊躇なく使うような作品でもあるだけに、ネット上で考察の類が活発に行われることは当然強く意識しているはず。3作目でもなおプレイヤーの意表を突く展開は何だろうか?と考えた場合、今回のメタ展開はまさにこれしかないというものだったのではないだろうか。

自分の事前予想としては、世界が滅んでいるだの、超高校級の才能を疎ましく思う人間が16人を才囚学園に閉じ込めただのと、誰でも考えそうな、いかにも凡人じみた予想を立ててみたりはした。だがもしそんな真相であれば過去作の焼き直し程度のものでしかない。考えてみれば1作目からして「世界が滅んだ」という、ある種最悪の結末だった(実際のところ割とそうでもなかったということは置いておいて)のだし、2でやった「世界自体がゲーム」も除いてこれを上回る衝撃の事実というと、もはやこれくらいしかないとも言える。簡単に言えば、プレイヤーへの直接攻撃だ。もうこれくらいしかねーよ!とか思いながら小高和剛氏はV3のシナリオ書いたんじゃないかとか想像してしまうがどうだろう。とにかく、決して二番煎じや焼き直しにならないように、しかも決して予想ができないようなものにと考えたものであることは間違いない。

また、絶対絶望少女のページでも書いたが、ダンガンロンパというのは悪趣味なゲームであることは一貫しており、プレイヤーに胸糞悪さを提供してくれる作品でもある。そうでなければそもそも代名詞とさえ言える学級裁判後のオシオキ処刑演出などしないし、2で江ノ島盾子の遺体から内臓その他、あちこちが絶望の残党たちの手により移植されたことを匂わせたりしないし、絶対絶望少女で死体を使ったマリオネット演出などしないし、ダンガンロンパゼロで松田夜助が原型もないほどに最愛の女性である江ノ島に叩き潰される演出など行わないし、アニメ絶望編で七海をじっくりとなぶって殺すことなどしないはずだ。どれも本当に悪趣味だ。嫌悪感を抱くのがむしろ普通だろう。
ちなみに、「江ノ島盾子」で検索すると、「子宮」という言葉が真っ先に検索のサジェスト機能で出てた時期がある。今調べたところ出ないが、昨年までは出ていたはずだ。2の最終章の偽苗木の言葉からこんな検索をするプレイヤーもいたことを表しているわけだが、流石に場所が場所だけに、これを知った時には若干引いた。

しかし、悪趣味で胸糞悪い、そういった面も間違いなくダンガンロンパという作品の一面として無視できない。こういう胸糞悪さというものは、ある意味「恐怖」などと近い感情なのかもしれない。元来進んで近づきたいものではないはずだが、人間はなぜかホラー映画を観たり、お化け屋敷に入ろうとしたりする。それにより受ける衝撃は平和な日常においては、脳が感じることのないものであり、刺激的で新鮮だからだろう。
そういう意味で、6章において過去作全キャラにわざわざ新録ボイスでああいった発言をさせるというのは過去最高最悪の悪趣味であり、もしこれがダンガンロンパ最終作となるならば、有終の美を飾るに相応しい悪趣味、とさえ感じた。ゲーム内にとどまらず、メタ的な意味合いを持った今回のそれの攻撃性は今までとは比較にならないほど凶悪であるが、プレイヤーへのダイレクトアタックとすら言えるそれが、多くのプレイヤーの脳にガツンと衝撃を与えてくれたのは疑いがないだろう。それが良いものか悪いものかは受け手次第だとしても、だ。今まではあくまで傍観者でいられた視聴者、プレイヤーをついに当事者として巻き込み、他人事ではいられなくした。良し悪しは置いておき、過去作とはくらべものにならない衝撃なのは論じるまでもない。

この辺りに関しては、 今作を象徴するキャラである王馬小吉がよく言う「つまらなくはなかったでしょ?」という言葉が、制作陣の代弁に聞こえてならない。このキャラ、決して「面白かったでしょ?」とは言わないのである。あくまで「つまらなくはなかったでしょ?」なのだ。このV3という作品に対して結末に対して是であれ非であれ、面白くはなくとも、つまらなくはないのは確かだろう。結末について否定派だとしてもそのほとんどが5章までは楽しんでいたことはネット上にある多くの評価が証明している。その楽しさから6章での失望への落差は、この上ない「衝撃」として届いたはずなのだから。それは当然面白いものではないはずだが、つまらないと断じることもできないだろう。その落差により激しく感情を揺さぶられたのであれば。もちろん、こんなのは特別にひいき目に見ての詭弁にすぎないが。

結局のところ、このゲーム画面を飛び越えた攻撃性をどう捉えられるかで、今作の評価は分かれると言っていい。「この上なくダンガンロンパらしい」と捉えられれば絶賛になるし、「冷や水以外の何物でもない」と捉えれば酷評になるはずである。自分としては当然絶賛になる。よくぞここまでやってくれたと、制作陣をほめたたえたくもあり、プレイ後にはある種の爽快感を覚えていたのを記憶している。
プレイ直後は確かに、多くの酷評に見られるように、愛着を持ったキャラクターたちへの気持ちが冷めるような思いがしたのも確かだった。これも絶対絶望少女のレビューで書いているが、ダンガンロンパというシリーズは紛れもなく「キャラゲー」であることも否定できない。他に類を見ないタッチで描かれる小松崎類氏の作り出したキャラクター、それにサイコポップ、サイコクールと表現される独得の世界観がそれを補強し、その魅力は唯一無二であるからこそ、自分もここまでダンガンロンパに入れ込んでいる、というのはどうにも否定できない。

そして、問題の6章で過去作キャラ全員がフルボイスでフィクションだフィクションだと言いたてるのは、その真偽を論じる以前に、プレイヤーを冷めさせるパワーがあったのは確かだ。実際、6章学級裁判の最中、「これやるために全キャラの声優さん集めて収録やったわけ…?」とまで、ちょっと考えてしまった。ダンガンロンパの魅力の一つはフルボイスで行われる迫力の学級裁判であることは言うまでもないが、フルボイスというものはそれだけ説得力がある。エンディング後のエピローグにより、結局のところ本当にV3世界がフィクション世界かどうかは有耶無耶にされているのだが、いくらその後でフィクションではない可能性を示唆されても、有無を言わさぬものがあったのは確かだ。
だが、キャラクターにばかり注目してダンガンロンパという作品に目を向けるのはある種生ぬるくもある。自分がそうであるように、きっと、そのキャラクターたちに魅了されている多くのダンガンロンパファンは、例えば某イラスト投稿サイトで二次創作を投稿したり閲覧したりして楽しんだりしていることだろう。だがそれはどうにも、「ぬるま湯」を楽しんでいるという言い方もできてしまう。

過去を振り返っても、一次生産物であるダンガンロンパ本編はそういうぬるま湯とは無縁の存在だったはずだ。ゲーム発売前には重要人物っぽく見えるキャラ、例えば初代では体験版をフェイントに使って舞園さやかを真っ先に殺し、2では1で生き残ったはずに思えた十神を最初に殺し、絶対絶望少女では朝日奈悠太を登場まもなく数分程度で退場させたり、敵対する希望の戦士たちに無暗に重い過去を設定した。
スピンオフ小説でも、ダンガンロンパゼロでは上述のように、最愛の人間を原型もなくなるほど足蹴にするという描写をやってのけるし、ダンガンロンパ霧切では死ぬはずのない霧切響子の祖父を殺したように演出したりもして読者を翻弄するし、ダンガンロンパ十神においても、作中人物が読者に向かって「ねえ今どんな気持ち?」と煽ってくるような展開がある。

このように、ダンガンロンパはどこかでプレイヤーを突き放してあざ笑うような側面を必ず持っていた。今作、V3においてはその度合があまりに大きいために物議を醸しているのだろうが(あえて触れてないが1章のあれも下手をすれば6章以上の相当な衝撃だ)、シリーズの根幹となっている「衝撃」や「悪趣味」を与えてくれるという意味では、全くスタンスは変わっていない。むしろ順当なグレードアップを遂げた結果がこのやり過ぎにさえ思える結末なのだろう。キャラゲーにおいてここまで冷や水をぶっかける行為が商業的にあっていいのか?とさえ思えるレベルのことをやってくれた。あるいはやらかしたのかもしれないが。どちらにせよ、個人的には絶賛としか言いようがない。例えば、ゴフェル計画が真実とするシナリオなどを採用し、5章までの流れを維持して軟着陸することだってできたはずだ。そうすればこのV3という作品は、掛け値なしの絶賛の嵐だったのかもしれない。だが、それをあえてせず、プレイヤーを全力で突き放すのを選択した。

上にプレイ後は爽快感さえ覚えたと書いたが、自分の好きな作品が、商業主義なぞ知ったことかと言わんばかりに攻めの姿勢を貫いてくれた。プレイヤーをぬるま湯に漬かせるのではなく、予定調和を振り切り、度肝を抜いて突き飛ばすことを優先してくれた。衝撃を与えるために、捨て身で過去作品キャラ、設定すら利用した。2010年に1作目が出て以来、6年もの間順調に積み上げてきたものを半ば放り投げるような真似をしてまで、プレイヤーに良し悪しを超えた衝撃を与えることを優先してくれた。「衝撃を与える」ことが最優先事項であるダンガンロンパにとって、登場キャラクターたちは構成パーツの1つでしかないと、思い改めさせてくれた。「過去作品にまで台無しにした」という酷評はよく見る評価だが、考え方を変えれば「過去作品を犠牲にしてでもプレイヤーを驚かそうとした」のである。今作V3でプレイヤーを驚かす、その一点のためにあえて積み木を崩した。プレイヤーをあざ笑うと同時にまた、真摯な姿勢を持ってこのダンガンロンパV3は作られたと感じる。様々なメディアミックス、キャラクターグッズが出ているシリーズで、この結末がどれだけリスキーかを一番よくわかっているのは言うまでもなく制作側だ。なのにあえてこれをやってのけた。

冷や水をかけられたと思う以上に、ダンガンロンパらしいこの結末、そう、あのモノクマがプレイヤーの反応を見てニヤニヤ笑ってでもいそうなこの結末を用意してくれたことが、いちファンとして嬉しく、爽快感を感じた理由となったのだろう。
思えば、どこまで性格の悪いところを見せてくれるのか?翻弄してくれるのか?というのを楽しみにしながらダンガンロンパ作品とは向き合ってきたのだ。そういう意味では完璧に期待に応えてくれたのだから喜ぶしかない。

なにせ作中で「ダンガンロンパを終わらせる」をプレイヤー自身の手で行わせる今作、ここまでやったのなら流石にもう続編はないのだろうと確信させるに十分なものになっている。自分自身、コアなファンだと自覚しているが、不思議と寂寥はほとんどない。ここまでやってシリーズを終わらせるなら潔い、痛快としか言いようがないからだ。もっと言えば、むしろここまでやったのなら続編は許さんとすら思ってもいる。

そもそも、ここまで突き抜けた3作目にしたのは、制作側がもうダンガンロンパという作品に限界を感じたから、という気がしてならない。例えばまだシリーズが続いたとして、4作目でもまた殺人事件が閉鎖空間で起こり学級裁判を行うのだろうか?そして徐々に減少していく登場人物の中においても、主人公はじめ生き残ったキャラたちは先が見えない未来であっても希望を持って踏み出していく?それをまだ続けるのか?そんなのがもうどうにもピンとこない。無論、V3がこういう結末を迎えたからこそこんなことを思うのかもしれないが、常に奇を衒い続ける、変化球を投げ続けることを自らに課しているダンガンロンパという作品においては、現実問題、3作程度が限界なのではないだろうか。学級裁判のゲーム性も、幸いにして三作目の今回ではまだマンネリを感じることはなかったが、次はわからない。それにV3であれをやっちゃ、もう流石にこれを超える衝撃を提供するのは不可能だろう。例えば続編で4が出たとして、今更ゲーム内で完結するような普通のミステリー作品をやられても拍子抜け以外の何物でもないだろう。だからと言って、もう一度メタ落ちなんてもってのほかなのは言うまでもない。一度やってしまえば取り返しがつかない、メタというのは最終作にのみに許された禁じ手だったはずだ。
これ以上はどうやってもマンネリになると判断したがゆえの、壮大な自爆にすら近い形としてシリーズ完結編としてV3を世に出した。そんな気がする。予定調和やマンネリは、ダンガンロンパという作品にはあまりにも似つかわしくないもの。ここらで完結編とし、盛大な花火として打ち上げて、どうせだから爆発炎上させよう。そんな想いでこの作品は出された気がするのである。

大好きなシリーズであるのに終わるのを願うというのもおかしな話になるが、事実そう感じてしまっているのが正直な気持ちなのでしょうがない。ゲームに限らず、どの媒体でも、自分が気に入っているシリーズ作品に対して純粋に、皮肉や落胆交じりなどでなく、前向きに、こんなことを考えるのは人生初でもある。こんな気持ちにさせてくれるのもおそらくこの作品くらいのものだろう。そういう意味でも、未知の「衝撃」を与えてくれたとして、ニューダンガンロンパV3という作品に賞賛を送りたい。

項目別評価

まず、「新章開幕」という、今作のコピーの一つになっている言葉は詐欺に近いと言っていい。むしろ外伝含めた過去のゲーム3作に加えてすべてのスピンオフ小説を読んでいるディープなファンのための作品。ダンガンロンパ初体験がV3、なんてことにならないように注意だ。全作品プレイしてからV3をレッツプレイ。

ダンガンロンパという作品に何を求めているか?と考えた時、「悪趣味さ」や「衝撃」だと思う自分としては、間違いなく最高傑作。今やスパイクチュンソフトの看板タイトルとなったこの作品で、否定意見を恐れずにこの結末にした、その攻めの姿勢を評価したい。
上の評論では全く触れていないが、6章や結末がどうのこうの抜きにしても、1〜5章どれも犯人を特定できず、非常に楽しめた。思えば1や2では捜査時点で大概犯人が分かってしまうようなものであったので、順調なグレードアップと言える。むしろゲーム的にはここが最もプレイ時間が長くなり、一番楽しめる部分なので、本来なら評価する部分なのかもしれない。1〜5章の出来が良いからこそ、6章では「あえてそうした」ということが分かるので6章を肯定できるとも言える。制作側の力が足りずにああいう結末になった、とかでは決してないことは5章までの出来の良さが証明しているからだ。

6章に関しても、この6年半ほど本編、その他周辺作品と付き合ってきた身としてはとても「らしい」ものとして肯定的に受け止められた。ただこれは、「今回でダンガンロンパは終了!」という制作側の明確な意思表示を感じることができ、これが最終作なのだろうと確信できるから思えることであるので、もし今後もダンガンロンパシリーズを続ける気であるのであればこういうオチにしたのは意味不明になるが…。世の中には「引き際」や「潮時」という言葉がある。それを間違えないように祈りたい。まああそこまでやって未練がましく続けるダンガンロンパではないと思えるのでそこは安心している。
しかし裁判ではない別ジャンルのオールスターゲームとかならまあいいんじゃないかな、とも思うし、何度も言うようだがスパイクチュンソフトの看板であるのも確かなのでこのままフェードアウト、という形にもならない気もする。最も高い可能性としては、キャラクターデザインや世界観はダンガンロンパを踏襲した上での別タイトル、別ジャンルとして系譜が続いていくことだと思っている。
いや、きっと自分などが予想したところでその遥か斜め上を突いてくれるのがダンガンロンパという作品なのだろう。さあどうなる、どう来るダンガンロンパ。

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